不登校が当たり前

不登校がここまで問題とされ、社会で大きく取り上げられるようになったのは、ここ十数年の事です。
それまでにも社会全体が貧しかった背景もあり、学校へ通える子どもの方が少数だったのです。
不登校の定義が長期欠席もしくは学籍のあるなしに関わらず未就学状態にある事を指すのであれば、今に始まった事ではなく日本初の学制が敷かれた明治時代でも貧困層家庭の子どもは学校へ通う事がままならずに、家の手伝いを強いられるか奉公に出されるのが常でした。

特に女性が学を身につける事への偏見も根強かった時代ですから、学校へ行けるというのは男子の特権のようなものでもあったのです。
今の小学校レベルまでは女の子も学習できる環境がかろうじて守られるようになったものの、卒業と同時に嫁がされる事も珍しくありませんでした。
それ以前には寺子屋と言われる、今の学校の原型とも言える民間塾のような働きが、漁村や農村にまで普及しており商家の子どもはもちろん、農家の子どもにまでそろばんや文字の読み書きといった生活に密着した学習が提供されていました。

一部の資本家らの努力により、日本初の女子大学が東京・目白に建設されたのは大正に入ってからの事です。
一方欧米では教会を中心にした日曜学校なるものも多く作られており、キリスト教精神を基にした女子教育も熱心に行われていました。
戦後になって大幅な社会改革が進められていく中で、就学率も高度成長に伴い急激に上がっていきました。
もはや不登校は当たり前ではなくなったのです。
今回は不登校問題の歴史についてのお話です。